A History of Villa-Lobos

20091201ヴィラ=ロボス記念クリスティーナ・オルティズピアノリサイタル④

エイトール・ヴィラ=ロボス(1887年3月5日〜1959年11月17日)はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで、学者・音楽家ハウル・ヴィラ=ロボスの息子として生まれた。早くから音楽に接し、幼少時より父親にチェロとクラリネットの演奏を教わった。青年ヴィラ=ロボスは、バッハの作品を深く敬愛したが、最も魅了されたのは、リオ・デ・ジャネイロの夜々にこだまする「ショーロ」や「モーダ」など、ブラジルのストリートや小都市で生まれる民族音楽であった。早くも18歳にしてミュージシャンとして働き始め、ブラジル全土を旅して広大な国土の民衆と文化の伝統やフォークロアを学ぶ。

この絶え間ない旅の中からヴィラ=ロボスの音楽 ———モダンで独創的、不協和で感動的な音楽が生まれた。当初、批評家や聴衆の強い反感や激怒すら招いたヴィラ=ロボスの作品は、ブラジルの民衆と自然、その精神と暮らしの躍動的表現によって、まもなくブラジルとヨーロッパ、アメリカを魅了することになる。

「私はモダンたらんとして不協和音を書くわけではない。まったく違う。私の作品は、これまでの研究や、ブラジルの自然を映し出すために考え至った集大成の壮大な成果だ。直感と経験に従って己の教養を育もうとしたとき、一見音楽とはまったく無関係な作品を調査・研究することでしか深い認識に到達できないことがわかった。だから、私の最初の書物はブラジルの地図であり、そのブラジルを町から町へ、州から州へ、森林から森林へと狩猟して、その土地の魂を綿密に調べた。それから、その土地の人々の正確を、そして、その土地の自然の驚異を。続いて、自分の研究を外国の作品と付き合わせ、自分の考えの主観性と不変性を堅固にする支えを探した」

ヴィラ=ロボスは生涯を通じ1000曲以上の作品を遺し、クラシック音楽分野でブラジルの真の伝統を確立しただけなく、自身の想像力を広めて国際的評価を得た。1959年に没して50年を経た今日でも、ブラジルの最も有力なクラシック作曲家として、その作品は愛奏され続けている。

 


 

自分自身について

H.ヴィラ=ロボス

―― わたしはごく小さかった時から、父の手により小さなチェロを与えられて、音楽に親しみ始めた。
父は、広い知識を身につけた教養人で格別な知性の持主であったばかりか、完全な技術をそなえた音楽家でもあった。父はわたしをいつも演奏会やオペラ、リハーサルなどに連れて行き、器楽合奏の様子をわたしに見せてくれた。
わたしはまたクラリネットの奏法も学び、音楽作品の作者、ジャンル、様式、特色などを言い当てられるように教育された。同時に、鳴らされた音や、折り折りの雑音――たとえば電車のきしる音とか、小鳥の声とか、金属の落下した響きとか――を聞いて、即座にその音高が言えるようにしつけられた。もし、答えが外れていれば大変だった……。
わたしはいつも正直であり、真実の友であってきたし、現在もその性質を保ち得ていると思う。
わたしは誰とでも、腹立ちまぎれや私怨によって争ったことはない。やむをえず敵になった人や偶然の対立者を、わたしは重くは考えない。もしそのような人びとが出てきたら、わたしはそれを人生の運命、わたしが避けるすべを知らなかった不意の疼痛だと考える。ともかく、敵のあることは利点も伴う。彼らはわたしが、自分の創り出す音楽のうちで“居眠りをしないように”してくれた。
わたしの友人や讃美者たちは、悪気なしではあるが、わたしの過ちや欠点を見逃してくれてしまうのだ。
わたしの音楽作品は、宿命によって生まれたものだ。もしもそれらが多量にあるとしたら、それらがこの広大な、豊饒な、暖かい土地の生んだ果実であるからだ。
ブラジルに生まれ、この国の中でその良心を築きあげた者は、たとえそのように望もうとも、ほかの国ぐにのもつ特色や方向を、まねることができないだろう。たとえこの国の基本的な文化が、よそから持ち込まれたものであるにしても、それは関係ないことだ。
わたしは、あらゆる意味において<自由>を愛する。研究し、調査し、働き、秩序正しく作曲することを愛する。
わたしは、つねに人類に役立つことを望んでいるが、誰のご機嫌もとりたいとは思わない。わたしが嫌いなものは利己主義、排他主義。わざとらしい勿体ぶり、それに偽りの謙虚さだ。
わたしはつねに、他人のなかに美質を認め、欠点を見まいと努力してきた。
わたしは生まれついてのカトリック信者である。
芸術は第2の宗教だと考えている。
わたしは、はかり知れぬほど<若さ>が好きだ。
そして教養ある人びとを尊重している。

(1957年8月、マグダラ・ダ・ガマ・オリヴェイラのインタビューに答えて)

 

Autobiografia

Heitor Villa-Lobos

Desde a mais tenra idade iniciei a vida musical, pelas mãos de meu pai, tocando um pequeno violoncelo.
Meu pai além de ser homem de aprimorada cultura geral e excepcionalmente inteligente, era um músico prático técnico e perfeito. Com ele, assistia sempre a ensaios, concertos e operas, a fim de habituar-me ao gênero de conjunto instrumental.
Aprendi, também, a tocar clarinete era obrigado a discernir o gênero, estilo caráter e origem das obras, como a declarar com presteza o nome da nota, dos sons ou ruídos, que surgiam incidentalmente no momento, como por exemplo, o guincho da roda um bonde, o pio de um pássaro, a queda de um objeto de metal, etc. Pobre de mim quando não acertava…
Lembro-me que sempre fui sincero e amigo da verdade, coservando ate hoje essa mentalidade.
Nunca briguei com ninguém com raiva ou rancor. Não acredito em inimigos involuntários nem adversários fortuitous. Se há essa espécie de seres humanos, considero uma fatalidade de minha vida, como se fosse uma doença imprevista que não pude ou soube evitar. Em todo caso, há sempre uma vantagem com os inimigos: eles obrigam-me a não “cochilar” nas minhas criações musicais.
Os meus amigos e adomiradores, por serem bons e sem maldades, constumam perdoar os meus erros e defeitos.
A minha obra musical é consequência da predestinação. Se ela é em grande quantidade, é fruto de uma terra extensa, generoso e quente.
Quem nasceu no Brasil e formou sua consciência no âmago deste país, não pode, embora querendo, imitar o caráter e o destino de outros paísses, apesar de ser a cultura básica transportada do estrangeiro.
Gosto da Liberdade em todos os sentidos, gusto de estudar a pesquisar, de trabalhar e compor sistematicamente.
Desejo sempre ser útil à humanidade, mas não para agradar a ninguém. Detesto o egocentrismo, a exclusividade, o importante intencional e a falsa modéstia.
Procuro ver nos outros as qualidades e nunca os defeitos.
Sou católico por princípio.
Considero a arte uma segunda religião.
Gosto imensamente da juventude e tenho acatamento pelo povo civilizado.

(entrevista concedida a Magdala da Gama Oliveira em Agosto de 1957)