ヴィラ=ロボスとの「出会い」

ヴィラ=ロボスと私 

私がヴィラ=ロボスのことをはじめて知ったのは30年前のことである。昭和24年頃と云えば戦後の混乱がようやく落着きはじめ少しづつアメリカやヨーロッパの音楽情報が伝わってくる様になった頃である。芸大に入ったばかりの私は作曲を勉強している一部の仲間達の間で、しばしばヴィラ=ロボスのことが話題になることに興味をもったのであった。民俗的な色彩の強い野性的でスケールの大きな音楽であるという点が、とくに若かったわれわれに魅力を感じさせたのであったが、残念なことにその音を聞くことも楽譜を手にとって見ることも出来ず、人の持っていた一冊のスコアを傍でかいま見ただけであった。その後時代の移りかわりは激しく、ヨーロッパやアメリカから生の音楽が頻繁に伝わりはじめるにつれていつかヴィラ=ロボスへの関心も薄れ、思い出すこともなく25年が過ぎたのであった。

ところがその私に1975年のはじめヴィラ=ロボス国際指揮コンクール開催の記事が目にとまり、すっかり忘れていた彼への興味が再び呼び覚まされ、私は早速手に入る限りの楽譜をオーダーし、コンクール参加の準備にかかったのである。
憧れのリオ・デ・ジャネイロに着き、アルミンダ・ヴィラ=ロボス未亡人にお会いした時の感動は忘れることが出来ない。夫人は7年前来日したこともあり大の日本ファンであり、日本人のこのコンクールへの初参加を大変喜んでくれたのであった。

リオの中心地区にある旧文部省の建物の中にこの偉大な作曲家を永久に記念するヴィラ=ロボス博物館がある。アルミンダ未亡人を館長とするこの博物館には彼の膨大な数の作品の原譜と、彼の指揮や演奏によって録音されたレコード、ピアノをはじめとする数々の遺品が保存されている。分厚い大形のサイン帳が数冊、ここを訪問して来た人達のヴィラ=ロボスへの関心の深さを示していたが、その中にかつてN響が南米演奏会旅行の折に立ちよったときの数人のメンバーのサインが目を引いた。ブラジルの人達、とくにリオの人達にとってヴィラ=ロボスは大きな意味をもっている。この国の民族的な音楽への関心を高め、ブラジルの音楽文化を広く世界的なものにした功績ばかりでなく、音楽教育の分野でもこの国の音楽的水準を高めるために貢献した数々の彼の偉業への敬愛の念は、例えば日本に於ける滝廉太郎や山田耕筰以上に、もっと身近な親しみと尊敬の念をこめてヴィラ=ロボスの名を呼ぶのである。

彼は名をエイトール(Heitor)と云い1887年、リオ・デ・ジャネイロに生れ、1959年に72才でその生涯をとじた。作曲家としてばかりではなく指揮者として、教育家として、巾広く祖国の音楽文化確立と向上のために精力的に活躍し、数々の業績を残したが、その旺盛な創作活動により生れた作品は、実に1300曲余りにものぼっている。
伝統ある名家に生まれ、熱心なアマチュア音楽家であった父とピアニストの叔母をもつ彼は、子どものころからチェロ、ギター、クラリネットなどに優れた才能を示したと伝えられている。11才のときに父を失い、ギターひとつを抱えて家を出、町の放浪劇団に入ったが、この間、楽器や作曲に関する様々な知識を得、敬愛するバッハをはじめ好きな作品を熟読・研究することで、独学で作曲法を学んだ。その後、25才でブラジル奥地の科学調査団に同行し、民族音楽研究に着手。また、フランスのダリウス・ミヨーの影響で近代フランス印象派に強い関心を抱き、4年間、パリに遊学。自作を発表して認められ、さらに広くヨーロッパやアメリカをまわりその特異な天才ぶりを発揮して注目をあびた。
帰国後、リオ・デ・ジャネイロ市の音楽視察官として、遅れていた音楽教育の改革にのり出し、また一方、各地にオーケストラを創設し、バッハをはじめ多くの作品の初演を手がけるなど、精力的な活動は、生涯、休みなく続けられた。彼は殆んどあらゆる楽器を弾きこなしたと伝えられているが、その創作分野があらゆる面にわたっているのも、そうした巾広い天賦の才能によるものと考えられる。

わが国でのヴィラ=ロボスの評価は残念ながら現在では決して恵まれたものではない。ただ、クラシックギターの分野では彼のギター作品に対する評価が高く、広く親しまれているのは喜ばしいことである。彼の作品の魅力は何といっても作品に表われてくるインスピレーションのすばらしさにある。自由奔放な創造性やバイタリティーに溢れた作風を通して彼の音楽は、聴く人達の心に遠慮なく飛び込んでくる力強さがある半面、奔放さのために曲の構成力の面ではまとまりのない弱点を見せるところもある。ただ彼の作品には計算された様な精緻さはないが、心の奥底からこみ上げて来る様な愛情と包容力に満たされた人間的さけびがあって、無限に人の心を捕らえるところがあるのだ。

私はそうしたヴィラ=ロボスの魅力を少しづつわが国にも紹介する機会をもちたいと常々と願っている一人であるが、今日、彼の歿後20年の記念にその場を得たことについて、関係して下さった方々に心から感謝をしたいのである。

 

日本ヴィラ=ロボス協会初代会長 村方千之(1979年執筆)