『ヴィラ=ロボス-ブラジルの大地に歌わせるために』特設ページ

本特設ページでは、木許裕介著『ヴィラ=ロボス -ブラジルの大地に歌わせるために Villa-Lobos: para fazer a terra do Brasil cantar』(春秋社)に対応したSpotifyプレイリストを通じて音源を紹介する。本書で取り上げた278曲の楽曲を中心にプレイリストを作成したが、3月22日時点で、下記プレイリストに掲載した音源時間を合計すると約4465分(約74時間=3日強)となる。

第一部に対応するプレイリストでは、ヴィラ=ロボスの作品に限らず、彼が聞いたり演奏したりして強い影響を受けた曲もあわせて紹介する。プレイリストが長大にならないように楽章を抜粋したものもあるが、「ヴィラ=ロボスがいかにしてヴィラ=ロボスになっていったのか」を辿るための一助となれば幸いである。

第二部プレイリストでは、本書で採用した作品分類に対応する形でヴィラ=ロボスの作品を中心に音源を整理した。第一部・第二部を通じて、Spotify上で録音が見つからないものもあるため、全作品の音源ではないことをご了承願いたい。なお、自作自演のものがある際には出来る限りプレイリストに含めるようにした。

また、本書初版発行(2023年3月23日)以降の研究で明らかにされた重要な出来事や、本書初版の事実関係の誤記などの修正事項もここに記載していくこととする。


<修正事項>
・はじめに p.7 一行目
(誤)ルービンシュタインに献呈された→(正)ルービンシュタインの初演による
(※「赤ちゃんの家族」第一集は、ルービンシュタインに献呈ではなく、妻ルシリアに献呈された作品であり、公式な初演はルービンシュタイン(1922)によります。本箇所以降では正しくルシリアに献呈となっていますが、この箇所のみ献呈と初演情報が混同されていました。)

・ショーロス p.297 作曲年順の一覧 
(誤)ショーロス第2番(フルートとファゴットのデュオ)→(正)ショーロス第2番(フルートとクラリネットのデュオ)

・ショーロス p.298 作曲年順の一覧
(誤)ショーロス・ビス(ヴァイオリンとヴィオラのデュオ)→(正)ショーロス・ビス(ヴァイオリンとチェロのデュオ)

・ショーロス p.316
(誤)フルートとファゴットのデュオ作品である第2番→(正)フルートとクラリネットのデュオ作品である第2番

(※上記いずれも、編成が間違っているところがありました。ショーロス第2番はフルートとクラリネットのデュオ曲、ショーロス・ビスはヴァイオリンとチェロのデュオ曲です。)

・ブラジル風バッハ p.351 後ろから五行目
(誤)位置付けが後退しながら→ (正)位置付けが交代しながら


第1部 作品と生涯

第1章(1887-1905)バッハとショーロ
幼い頃からバッハの作品に触れつつ、ギター、チェロ、クラリネットを奏で、ショーロ奏者たちと親交を結ぶ。クラシックとポピュラーを自在に行き来した音楽家ヴィラ=ロボスの「原体験」となった曲たちと、彼の最初期の作品を聴こう。(初期作品の多くは楽譜が散逸しており、録音が為されていないものも多いことが残念である)

第2章(1905-1914)ブラジルを旅して
18歳を迎えたヴィラ=ロボスは、ブラジルへの旅に出る。ブラジルへの日本人移民への始まりとも重なるこの時期のヴィラ=ロボスの旅路や真相には不明なところも多い。しかし彼がこの時期、ブラジルを旅して、「新しい響き」とでも言うべきものを探し求めたことは間違いない。最初の妻であるピアニストのルシリアとの出会いもこの頃であり、以降ヴィラ=ロボスの作品におけるピアノの比重が高まっていく。彼の船出を準備した「謎の空白」とでも言うべきこの時期に関わる作品を聴こう。

第3章(1914-1923)アヴァン・ギャルドの作曲家
気鋭のチェリストであり作曲家のヴィラ=ロボス。特別に先鋭的な感覚をもったアーティストとして彼の名前が知られるようになったのがこの時期である。ミヨーとの出会い、「ヴェローゾ・ゲーハ・サークル」への加入、スペイン風邪の流行、ルービンシュタインとの出会い、さらには彼の名を轟かせることになる「近代芸術週間」への参加、彼に夢を託したパトロンたちとの交流…。運命的な出来事の数々を通じて、彼のアーティスティックな「思想」が形成され、船出の時へとつながってゆく。

本書第1部でもっとも研究・執筆に時間をかけたのがこの章である。とくに、「ヴェローゾ・ゲーハ・サークル」の存在は日本ではほとんど紹介されてこなかった。(また、本書では書き切れなかったが、近代フランス音楽やストラヴィンスキー作品のブラジルへの紹介という点では、このサークルと並んで、ヴェラ・ジャナコプロスが果たした役割が大きい。これについては改めて詳説したい)

なお近代芸術週間については、書籍p.446-447「注21」で触れたように、このイベントの曲目や演説を再現したCDである「Toda Semana」が近代藝術週間100周年を記念して2022年に発売されたことから、このCDを紹介することとした。

第4章(1923-1930)エキゾチズムのジレンマ
パリにわたって経験した挫折と開花。故国の相対化。自らが歩むべき道の再発見。パリに集ったトップクラスの芸術家たちとの出会い。ストラヴィンスキーの作品をはじめ同時代の多くのアーティストから影響を受け、「ショーロス」シリーズなど、第3章で扱った作品以上に、真に「アヴァン・ギャルド」な作品を書いてパリの楽壇にスキャンダルを巻き起こす。ここでヴィラ=ロボスは、非ヨーロッパ出身でアウトサイダー的な作曲家としてではなく、国際的に認められた作曲家として飛翔する。同時に、フランスとブラジルを繋ぐ文化大使のような役割を担うようになる。しかし一方では彼の活動がブラジルの野生的なイメージを強調しすぎることにつながり、批判されたりもする….。第三章ではブラジル文化史の中にこの作曲家を位置付けようと試み、第四章では、1920年代パリの音楽史かつ芸術家交流の中にヴィラ=ロボスの姿を描き出そうとした。1920年代のパリに響いた斬新な音楽の数々をヴィラ=ロボスの作品とともに聴こう。

第5章(1930-1945)「ブラジル」の作曲家として
パリからブラジルに帰国したのち、彼がブラジルの文化芸術レベルの向上に尽力しようとするのはある意味で必然であった。そのことは本書を読み進めて頂くと違和感なく理解して頂けることだろう。「ブラジル芸術のキャラバン」を企画してアウトリーチ活動に励み、時の政権とうまく切り結びながら、政府組織に関わり、音楽を通じた教育改革に邁進する。自らが作曲家として大成すること以上に、彼はブラジルという国の文化芸術の未来や次世代の子どもたちの文化水準の向上に貢献することを考え動きづつけた。彼は作曲家であると同時に教育者であり、文化政策の研究・実践者であった。(余談であるが、筆者が最もヴィラ=ロボスに共感し憧れるのはこの部分である。)

一連の「ブラジル風バッハ」シリーズに加えて、教育的な作品や合唱作品を多く残し、ブラジルで最も有名な作曲家としてはもちろん、ブラジルを代表する音楽教育者として世界にその名を轟かせるようになった。最初の妻ルシリアとの別れと、二番目の妻アルミンダとの出会いもこの時期のことであった。

第6章(1945-1959)世界的作曲家として
政府の仕事の多忙さに嫌気がさしたのか、ヴァルガス大統領に「マエストロのやりたいことをやるためには、ブラジルを離れたほうがよい」と言われたからか、ヴィラ=ロボスは政府の仕事から離れ、作曲活動と指揮活動に専念するようになる。ただし彼の鋭い政治感覚は健在で、善隣外交およびその延長に自身が用いられることを懸念し、過剰に「ブラジルの」作曲家としてプロモーションされることを嫌ったという。

ブラジルの大地にアイデンティを強く持ちながらも、一国にとどまらない、世界的で普遍的なアーティストであろうとしたのがこの時期のヴィラ=ロボスの特徴である。アメリカ(特にニューヨーク)に拠点を定め、ブラジル-アメリカ-フランスを中心として世界を駆け巡った。しばらく中断していた交響曲の作曲を開始し、多種多様な楽器のための協奏曲を委嘱され、明鏡止水の境地のような合唱曲と弦楽四重奏曲を手がけ、数えきれないほどの賞に浴した。一方では「ブラジル音楽アカデミー」を設立したり、後輩たちの作品を世界で指揮したりと、次世代のブラジルの作曲家たちが活躍するための道筋を作り、72年の生涯を終えた。


第2部 作品総論

第1章 ギター作品

第2章 ピアノ作品

第3章 室内楽曲

※作品数が多いため、二重奏/三重奏および四重奏/五重奏および六重奏、それ以上 の四つに分けてプレイリストを作成した。

第4章 交響詩・バレエ音楽

第5章 弦楽四重奏曲

第6章 ショーロス

第7章 ブラジル風バッハ

第8章 声楽作品(歌曲と合唱曲)

第9章 交響曲

第10章 協奏曲(および協奏的作品)

第11章 オペラ

第12章 映画音楽

第13章 その他管弦楽曲